KANSAI UNIVERSITY

INTERVIEW | 私は、こんな人。 /09

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—逆境での経験が土台。
代打のチャンスを活かす。

 朝日放送のアナウンサーとして人気長寿番組『おはよう朝日です』のメイン司会を15年以上務め、フリー転身後は『情報ライブ ミヤネ屋』『Mr.サンデー』などを担当。宮根誠司氏は、関西から全国的な知名度を獲得した数少ないアナウンサーの一人といえる。
「 “東京進出”を果たしたとよく言われますが、私はそのつもりはないんです。フリーになった時は、関西でなんとかやっていけたらいいと考えていました。読売テレビさんから『ミヤネ屋』の仕事をいただいて、結果的に全国ネットになっただけです」
 もともと宮根氏はアナウンサーを志していたわけではなかった。大学4年生の時、テレビ局を見学できるという軽い気持ちで就職試験を受けたのだという。
「面接は3次くらいまでありましたが、トークがウケたんです。ネタはそれなりに用意していたのですが、全部うまくハマりましたね」
 アナウンサーとして採用されたものの、入社当時は宮根氏いわく“落ちこぼれ”だった。標準語もよく分からず、アナウンサーとしての基礎ができていない状態で、先輩にかなり鍛えられたという。なかなか担当番組を持たせてもらえず、ラジオやテレビでニュースばかりを読む日々が続いた。
「振り返ってみれば、あの時、ニュースを沢山読まされたことが良かったんです。アナウンサーの基礎は、ストレートなニュースを読むことだと思います。土台がしっかりあると、崩すことができる。自分の拠り所になりました」
 やがて、宮根氏にチャンスは訪れた。『おはよう朝日です』の生中継のコーナーで、体調を崩した先輩に代わって出演。それが反響を呼びリポーターとなり、1994年からは単独司会として抜擢された。
「どうせ一回きりの“代打”なので思い切りやろうと無茶をしましたが、それがウケました。運が良かったのです」

番組を見られる方々に
“お土産”みたいなものが必要。

『鳥人間コンテスト選手権大会』では『チームミヤネ屋』のパイロットとして出場。東京マラソンに参加した際は、目標タイムを切れずに罰として丸刈り頭を披露。最近では、半年間で7キロも減量して肉体改造し、雑誌の表紙を飾るなど、話題をふりまく宮根氏。そのエネルギーはどこから沸いてくるのだろうか。
「テレビを見てくださる方への“お土産”みたいなものです。単にニュースや情報をお伝えするだけでは面白くないでしょう」
 その想いは、宮根氏の仕事全般に共通しているという。
「番組の中でも“喜怒哀楽”みたいなものを大切にしています。いつも同じ調子でやるのではなく、変化のあるほうが見る人も楽しいと思いますし。こういう見方や考え方があるのだと感じてもらえればいいですね。たとえ情報のすべてを伝え切れなくても、問題を投げかけるだけでも大事。それが番組の余韻として残ればいいと考えます」
 最初から順風満帆というわけではなかったアナウンサー人生。あくまでも自然体で、視聴者にとって面白いことを真摯に追求し続けて、現在の宮根氏がある。
「私自身が器用で、入社してすぐに番組をもっていたとしたら、今の私ではなかったかもしれません。何事も小器用にならず、失敗を恐れないことが大事でしょうね。ただ一方で、緊張感をもって慎重になることも必要です。自分を信用しすぎないように、上手にやれると思わないように心がけています」

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