KANSAI UNIVERSITY

INTERVIEW | 私は、こんな人。 /22

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研究成果を通して
減災を進めることが自分の使命。

 災害研究の世界的第一人者として知られる河田教授は、関西大学に日本初となる社会安全学部を創設するために尽力し、初代学部長を務めた。
 現在、首都直下地震と南海トラフ巨大地震を想定した減災戦略を提示する研究を進めている。大きな災害が起きた時、被害をゼロにするのは不可能と語る河田教授は、被害を最小化する「減災」という言葉を日本で初めて提起した。
「目標は、この国に防災省をつくることです。災害が起きた時には、普段からやっていることしかできないから。そして私は研究者として、研究成果を通して減災を進めることを使命と考えます」
 河田教授の研究テーマは、海岸・河川災害から、都市災害まで幅広い。都市災害に関する研究は、1995年の阪神・淡路大震災発生前ではあまり行われておらず、教授の先見性の高さがうかがえる。研究は、時として過酷な被災地での現地調査も伴うという。
「1999年に、パプアニューギニアで地震津波災害が発生した時、私は調査団の団長として現地へ派遣されました。いつ再び地震が発生するかわからず、野犬やワニに襲われる危険もある中、現地の軍隊から成る対策本部の司令官と交渉したり、被災地まで空軍のヘリコプターをチャーターしたり、現場での手配事はすべて私が対応しないといけませんでした。決してお膳立てされた場所へ行くわけではないのです」 
 調査や研究に限らず、あらゆる自分の行動には自らイニシアチブを取るという河田教授。意思決定するのは自分、すべては自主努力、自己責任だと語る。
「私のところに相談に来た学生には、必ず“やってごらん”と言い、やめた方がいいとは言いません。新しい経験を積んでいかないと成長しないですし、相談に来るということは、背中を押して欲しいのです。自分で自分の背中を押すには勇気が必要。勇気があれば挑戦できるのです」

社会安全学部で学んで欲しいのは、
生き方を賢くする方法。

 学生時代は勉学に打ち込み、運輸省の官僚を目指すために大学院へ進んだ。もともと研究者になるつもりはなかったが、担当の教授が防災研究所に移ったため同行し、災害研究に傾倒していったという。一方、登山にも熱中。4年生の時滑落事故に遭い、怪我で顔中血だらけの友人を背負いながら冬山を下山するという経験をもつ。
「山に登るのも冒険ですが、私にとっては研究こそ“アドベンチャー”。わからないことだらけです。いま、首都直下地震も南海トラフ巨大地震も、詳しく見ているのは日本で私だけ。だから私が研究しなければ誰がやるのだという想いが、大きなモチベーションになっています」
 強い使命感と情熱をもって研究にのぞむ河田教授だが、その昔、結婚前には約180通ものラブレターを綴り、様々なハードルを超えて妻になる人の心を射止めたというロマンチストでもある。
「目標を決めたらケチなことを言わず、自分のエネルギーをすべて投入するように、若い人たちには伝えたい。そうでなければ、人を動かすことはできません。好きなことに自分を集中させるのが一番なのです」
 教育とは自分を変えてゆくツールを教えることであり、指導者としての責任は大きいと語る。
「神様はみんなにチャンスをくれる。それをチャンスと気づくための能力が必要だと学生には言っています。関西大学で教えてきたのは、災害に限らずリスクの多い現代社会をいかに乗り切るかという、人生の危機管理能力。私の講義を聴いて、生き方を賢くする方法を学んで欲しいのです。勉強して賢くなることで、努力は報われるのだと学生に話しています」

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